暮らしの読み物|人生と暮らし|第13号
長生きしたい。
でも、長生きするのが怖い。
― 長寿を願う人の、誰にも言えない本音 ―
「長生きしたい」と願いながら、「あまり長生きしたくない」と思っている人がいます。おかしな話でしょうか。いいえ。
わたくしは、決してそうは思いません。
本当は、まだまだ生きていたい。
けれども、長生きした先に何が待っているのかを考えると、怖くなる。
ある程度の年齢を重ねた方なら、一度くらいは、そんな気持ちになったことがあるのではないでしょうか。今日は、少しだけ、そのお話をさせてください。
長生きすることが、怖くなる理由。
若いころは、長生きすることを素直に喜べたように思います。80歳まで生きられたら幸せだろう。90歳まで元気でいられたら、なお素晴らしい。
ところが、年齢を重ねるにつれ、さまざまな不安が生まれます。足腰が弱くなったら、どうしよう。認知症になったら、どうしよう。
年金だけで暮らしていけるだろうか。
そして、何よりも気になることがあります。「子どもたちに、迷惑をかけたくない。」
親というものは、不思議なものでございます。子どもが小さなころは、どれほど手がかかっても、懸命に育ててきたはずです。
夜中に熱を出せば、眠らずに看病する。自分の欲しいものを我慢して、子どもに買ってやる。
それなのに、いざ自分が年老いて、子どもの世話になるかもしれないと考えると、申し訳なく感じてしまう。子どものために生きてきた人ほど、子どもの負担になることを恐れているのかもしれません。
なんとも、切ない話でございます。
19歳まで生きた、サニーという犬。
わたくしの家には、サニーというトイプードルがいました。もう一匹、ミルというチワワもおります。
サニーは、なんと19歳と数か月まで生きました。小型犬としても、ずいぶん長生きしてくれたと思います。
しかし、晩年のサニーは、若いころの姿とはまるで違っていました。歩くのも、ヨタヨタ。
食事も座ったまま、顔を汚しながら、ようやく食べる。時には血を吐くこともあり、オムツも欠かせませんでした。
正直に申し上げれば、お世話は大変でした。
それでも、わたくしは心から願っていました。「サニー、もう一日だけでも長く生きていて。」
なぜ、そこまで思えたのでしょうか。
元気だったころのサニーを、知っていたからです。家の中を元気いっぱいに走り回っていた姿。寝ていると、いつの間にか布団の中に入り込んできたこと。犬なりに笑ったり、怒ったり、ご飯を欲しがったり。そんな、何でもない毎日の思い出が、たくさんありました。
だから、目の前のサニーが歩けなくなっても、わたくしにとっては、あの元気なサニーのままだったのです。世話が大変ではなかった、と言えば嘘になります。 けれども、その大変さを差し引いても、そばにいてほしかった。
何かをしてくれなくてもいい。元気に走り回れなくてもいい。ただ、今日も生きていてくれる。それだけで、うれしかったのです。
・・・・・
迷惑をかけたくない。
でも、そばにいてほしい。
サニーのことを思い出すたびに、わたくしは考えます。年老いた親が、子どもにこう言ったとします。「迷惑をかけるくらいなら、長生きしたくない。」その言葉を聞いた子どもは、どう思うのでしょうか。
もちろん、人間の介護と犬の世話を、同じものとして語ることはできません。介護には、仕事や生活、経済的な事情もあります。愛情があっても、心身ともに疲れ果ててしまうことだってあります。
それでも、サニーとの暮らしを通して、わたくしが感じたことがあります。介護する人の心には、大変さと愛情が、同時に存在することがある。
そして、長い年月をともに過ごした思い出が、その大変な日々を支えてくれることもあるのではないでしょうか。
元気だったころの姿を知っている。一緒に笑ったことを覚えている。困ったときに助けてもらったことも、優しくしてもらったことも、忘れていない。だから、今度は自分が支えたい。
「迷惑をかけたくない」と思う人がいる一方で、「迷惑でもいいから、もう少し一緒にいてほしい」と願う人もいる。
人間というものは、本当に難しいものでございます。
元気でなければ、
幸せになれないのでしょうか。
わたくしは、健康に関わる仕事をしております。ですから、お客様には、できるだけ長く、元気でいていただきたいと願っています。けれども、健康でなければ幸せになれないとは思いません。
自分の足で歩けなくなったら、人生の価値がなくなるのでしょうか。誰かの手を借りなければ生活できなくなったら、生きている意味は小さくなるのでしょうか。そんなことは、決してないと思います。
病気を抱えていても、家族にとってかけがえのない存在であることに変わりはありません。名前を呼んでくれる。手を握り返してくれる。ただ、そこにいてくれる。それだけで救われる家族もいるのです。
もちろん、だからといって、介護する人がすべてを我慢する必要はありません。助けを借りてもいい。休んでもいい。大切に思うことと、一人で背負い込むことは、同じではないのです。
100歳まで生きれば、
幸せなのでしょうか。
少し意地悪な質問をさせてください。100歳まで生きた人と、80歳で亡くなった人。どちらが幸せな人生だったのでしょうか。もちろん、年齢だけで決められるはずがありません。
では、長生きすることに意味はないのでしょうか。いいえ。そういうことでもありません。
長生きしたからこそ、出会えた人がいる。 長生きしたからこそ、見ることのできた景色がある。 長生きしたからこそ、伝えられた言葉がある。
孫が初めて歩いた日。家族みんなで囲んだ食卓。何十年ぶりかに再会した懐かしい友人。そして、何でもない日に、思いがけず笑ってしまったこと。そんな時間が、もう一日、もう一年と増えていく。わたくしは、そこに長生きすることの喜びがあるのだと思います。
明日も生きていたいと思える理由。
さて、最初のお話に戻りましょう。「長生きしたい。でも、長生きするのが怖い。」この矛盾した気持ちに、無理に答えを出す必要はないと思います。
ただ、一つだけ、考えていただきたいことがあります。もう少し生きていたいと思う理由は、何でしょうか。
大きな夢でなくても、かまいません。来年も桜を見たい。もう一度、故郷に帰りたい。孫が大きくなる姿を見たい。妻と、もう少し一緒にいたい。夫と、あと何回か旅行に行きたい。そんな願いで、十分ではないでしょうか。
そして、もし今、その答えが見つからなくても、焦る必要はありません。明日になれば、何か一つ、楽しみが見つかるかもしれませんから。
・・・・・
サニーが19歳になったころ、わたくしは、もう元気に走り回ってほしいとは願っていませんでした。ただ、明日も一緒にいられたら。そう願っていました。
若いころのサニーも、年老いたサニーも、わたくしにとっては同じ、大切な家族だったのです。
そして、今になって思います。あれほど大変だった毎日さえ、かけがえのない大切な思い出になることを・・・。
生薬工房 代表 有留 隆幸